相模原殺傷事件の犯人が抱く狂った正当性と賛同する人について

相模原殺傷事件、津久井やまゆり園

2016年7月26日未明に起きた相模原殺傷事件

この殺傷事件の現場である神奈川県相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』の元職員の犯人の素性が、連日ニュースで報道されていたりネットで話題になっています。

そして、その元職員の犯人の人物像が徐々に明らかになり、今回の犯行についても、自身の狂った思想を巧みに正当化していたことが伝えられています。 前回の記事では、この相模原殺傷事件の犯人の危険思想について、理解を示したり、賛同する人間がいることに対して強い警鐘を鳴らしたのですが、それがなぜいけないことなのか、もう少し踏み込んで書いていこうと思います。

【前回記事】
相模原・障害者施設殺人事件の犯人に共感の声?世の中が悪い方向へ

相模原殺傷事件の犯人が抱く狂った正当性

Sponsored Link

相模原市の障害者殺傷事件について、色々な意見があると思いますが、私はこの犯人については反社会的な人間としてバッシングしています。

この事件については相当に腹が立っていて、障がい者という社会的弱者を標的にした犯行であること、そして、このような人間が野放しにされていたことについて強い疑問を感じているからです。

まず、「手のかかる重度知的・重複障害者などは親の同意があれば安楽死させるべきだ」と主張するような人間が、150床の大規模な障害者施設『津久井やまゆり園』で3年以上(2016年2月に自主退職)勤務していたことが恐ろしいのです。 そして、勤務期間中にも、障害者は生きていても周りに迷惑をかけるだけだの、無駄に税金がかかるだのと主張し、障害者の存在を否定するような発言をほのめかしていたというのです。

 

この犯人が言う『障害者は生きていてもプラスにならない』という主張。

私はこの考え方に同調する一部の人間がいることや、犯人がこのような間違った思想を信じこんでしまったことを、本当に残念に思うのです。 確かに匿名性の高いネットの書き込みで、安易にこのような同調が起きてしまう側面もあるでしょう。 そして、この犯人に同調する人の中には、障害者福祉についてあまり理解がなかったり、身体・知的・精神障害者と接する機会がなかったのであろうと想像することもできるのですが、この男の場合は違います。

障害者福祉現場で3年以上も従事していたにも関わらず、このような殺傷事件を引き起こしたというのは、決して無視できない問題ではないでしょうか?

 

連日報道されるニュースでは、どうも犯人の狂人ぶりが目立っていますが、このような人間が福祉の世界に潜伏し、障害者基本理念に反するような考えを持っているにも関わらず、その思想を正すこともできず、現場でケアをさせていたことに対して憤りを感じます。

施設長並びに、主任やリーダーは、施設内でスタッフの管理が全くできていなかったのではないでしょうか? 前回も指摘した通り、低賃金で良い人材が集まるわけがないのは至極当然です。 介護業界が人員不足で悩んでいたり、人員が育たない環境であることはわかります。

 

しかしながら、敢えて言わせていただきたいのですが、入浴介助の時など、他の同僚がこの犯人に刺青があることくらいはわかっていたのではないでしょうか? たとえこの犯人が、それを隠していたとしても、この犯人のSNSでの投稿、写真などから伺える表情(しぐさ)、言動から、自己顕示欲の非常に強い人間だということが伝わってくるからです。

 

私は刺青を入れるのは好きにしたらいいと思います。

背中や両肩に入れる和彫りというのは、西洋でよくある『死んだ母さんを思い出すため』とか、そういうものではないでしょう。 もちろん、それぞれに個々の強い想いがあるから墨を入れるのだとは思います。 ただ今回のケースにおいては、この犯人の人間性から推察するに、反社会的な威圧感をまといたかっただけとも言えるので、福祉や教育現場に身を置いていること自体がおかしい話です。

ましてや、社会福祉法人に従事していながら、これから墨の色を入れようとする段階でした。 彼らの給料は税金から出ているもので、国の法律によって障害者の方々が利用している居住空間です。

 誤解を恐れず言えば、水商売やベンチャー企業とはわけが違いますし、 漫画やドラマのように、昔、そっちの道で生きていた人間が更生するという話ではないんですよ。

この犯人のような男が普通に従事できていた『津久井やまゆり園』の労働環境を考えると、福祉業界には潜在的にこのような人材を抱えやすいのではないかと懸念を抱いてしまします。

相模原殺傷事件の元職員の犯人への対応について

相模原殺傷事件、津久井やまゆり園の前で手を合わせる女性

相模原殺傷事件は防げなかったのか?

このような議論がネットでなされていましたが、障害者施設というのは『人間らしい生活の場』というところを順守しなければならないので、プライバシーポリシーにおいて、至る所に防犯カメラを付けたりという過剰な防犯対策はできません。

それでも、この元職員の犯人が危険だということもあり、障害者施設『津久井やまゆり園』では、計16台もの防犯カメラを設置していたそうです。

 

結局、この元職員の男は、刺青発覚を理由に同施設を自主退職し、衆議院議長に自分の主義主張を訴える内容の手紙を渡し、その後、相模原市精神保健福祉課に『他害の危険性がある』として措置入院に至っています。

実際、それは短期間の入院で済んだようですが、大麻の陽性反応や、精神障害の疑いなんかが検査の結果でわかっていたそうです。

 

ただ、今回の相模原殺傷事件について、『狂人のしたことだから防ぎようがないよね』と終わらせられません。 連日のニュースの報道でもあるように、聞けば、成人式で軽トラの荷台に乗って酒を飲んで暴れていたり、学生時代に危険ドラッグを乱用していたり、彫師に弟子入りしていたりと、様々な証言が出てきて、その人物像が浮き彫りになってきています。

この元職員の犯人は現在26歳で、学生時代の危険ドラッグから薬物依存の傾向にあったことや、このような凶行に至る行動力の持ち主であることを考えてみても、本当になぜ今の今まで、それが野放しにされていたのかが不思議でなりません。

 

両親とはケンカが絶えず、犯人は親と別居していたそうですが、それくらい手が掛かる人間だったことは明らかですが、先ほどの紹介した普段の犯人の生き方をひた隠しにしてきた異常性というものは、他人からすると意外にわからないものなのでしょうか?

津久井やまゆり園では、今年2月18日にこの犯人が『重度の障害者は安楽死させるべきだ』という発言をしたことから、警察に通報したそうですが、それまでは割りと無関心なままこの男を放置していたのではないかと考えると、他の施設にも似たようなケースがあるのではないかと思ってしまいます。

相模原殺傷事件の犯人に賛同する人について

Sponsored Link

ではなぜ、そのような危惧を抱くのかというと、相模原殺傷事件の犯人の思想について、安易に賛同する人間がネット上の書き込みで何人か見られたからです。

そういった人間は匿名性を利用して差別用語を使い、社会的弱者を排除に追いやろうとする意見を述べますが、中にはわざわざ体験談を交えて真剣に賛同している人物もいました。

 

相模原殺傷事件の狂人の戯れ言など議論するに値しないのですが、『障害者が生きてる価値があるかどうかといえば、ない』だとか、『犯人が重複障害者を優先的に狙ったところに思想を感じる』とか、そんな共感の意見は冗談でも言うべきではないでしょう。

おそらく、何らかの選民思想に基いて、人間の価値に対する主張をしているようですが、たとえどんな障害を持っていたとしても人権が尊重されるのが今の社会においての常識であり、共通理念です。 例えば、知的障害者に他傷の危険性があれば、特別支援学校に通い、その後は施設で過ごしたり、障害者介護のスタッフがケアをするようになっています。

介護経験がないと、いまいち一方通行なお世話というイメージを持つかもしれませんが、彼らケアワーカーからしても、身体介護や生活介護をすることで、得るものもたくさんあります。 こういうと『綺麗事』だという人もいますが、別にそう思うのであればそれで構いません。 ただ、決して一方通行な作業ではありませんし、介護業界に従事し、社会福祉施設で働く人間であれば、綺麗事だろうがなんだろうが、それは使命感を伴う仕事になります。

障害者福祉の世界では、健常者と障害者の生活が自然なものになるように、日々、努力を続けています。 障害者福祉の世界では、毎年大規模なシンポジウムや、毎月どこかで開かれている勉強会など、職員が健全な思考で福祉に従事するために、様々な場所で地道な活動をおこなっているのです。

いままで無関心だった人間が、安易に『安楽死させた方がいい』とか、『犯人の気持ちもわからなくはない』などというべきではありません。 それはその人自身の意見として、勝手にそう思うのは構いませんが、掲示板に堂々と書き込むなどして、そのような共鳴を広げることは、相模原殺傷事件の犯人のような潜在的危険思想の持ち主を助長させる行為に他なりません。

 

障害者に手を差し伸べるイメージ

たしかに、知的障害者が健常者に比べて行動が予測できないところから、『何を考えているかわからない』と怖い印象を与えるかもしれません。 しかし、彼らにも喜怒哀楽があります。 当然のことながら、多くの知的障害者は感情や行動の自制が効きにくく、生活上大変なことがあるのも確かです。

 

しかし、障害者福祉では「自分の子供を看取った翌日に死にたい」という親御さんの言葉が聞かれるように、どんな子供だったとしても、親の愛はそういうものなんですよ。 もちろん、全員ではないですが、大きな覚悟を持って家族と生きようとしているのです。

誰しもが、ふとした拍子に不幸に回ることがあります。 そんな時に自分だけが良ければいいという思想は危険なのです。 介護業界がストレスが溜まりやすい職場環境であることは否定しませんが、私の知る限り、障害者福祉の世界は『仕方なくやってる』という雰囲気ではありませんし、高い志を持って従事されているスタッフも少なくありません。

 

時々、本当に難しいなと思う人間も障害者施設を利用することがあります。

たとえそうだとしても、お世話してくれる人がいるんですよ?

それが人間らしい社会じゃないですか。

 

相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』には、身寄りのない利用者や、親が何年も会いにきていない利用者がいて(そういった施設利用者は障害者・高齢者問わず沢山いる)、犯人がそのことに対してなんらかの憤りを感じていたのかもしれません。

しかし、それに対して『障害者は不要』と断ずることは間違っているのです。

 

時々、『じゃあお前が障害者を養っていけばいい』ということを言う人がいますが、こういうことを言うバカが社会的弱者に回った時、一番ややこしい人間になります。 相模原殺傷事件の犯人も、教員を目指し、社会のレールから外れた時に、自分よりもさらに社会的弱者に対して攻撃することで正当性を示しました。 自分は優れた人間だと錯覚し、衆議院議長に狂った主義主張を提示するけど無視され、自己顕示欲が強く、反社会的な思想に傾倒し、ドラッグなどをやりながらうまく社会に溶けこんでる自分に酔っているけれども、結局、弱い自分を認められないから、独善的な思考をこじらせて凶行に走る…。

【関連記事】
津久井やまゆり園殺傷事件の元職員は精神障害のサイコパスだった?

 

この男に情状酌量の余地などないと思っていますが、彼もまた、屈折しながらも、親に見放され、自分が社会の犠牲者だと感じていたのかもしれません。

しかし、これはデスノートのような漫画の世界ではありません。(あれは犯罪者を断罪する話ですが…) これ以上の悲劇を繰り返さないためにも、決して、狂人の思想に共感してはならないということです。

Sponsored Link

4 Responses to “相模原殺傷事件の犯人が抱く狂った正当性と賛同する人について”

  1. かず より:

    日本は資本主義です。

    重度の障害者は国家にとって金銭的に赤字になります
    これは認めますか?

    ここでは
    「生きる価値のある人間=利益を生む人間」という事

    現在無職の人でも今後の可能性があるから良いが
    重度の障害者は国家支援を上回る利益を生み出す事はない

    よって 安楽死制度は必要。

    • より:

      あなたはバカなんですか?
      税金を無駄に使ってるわけではありません。
      障害者施設だけが無駄税金を使ってるんですか?
      そんなわけないぢゃん。

      障害児を生んだ親からしたら
      望んで障害者を産んだわけではない。

      でも産まれた時に
      笑った顔泣いた顔いろんな顔をみて
      障害者でも可愛いんです。
      愛情を注いで育ててるんです。

      それを安楽死?
      安易にそーいう事言う人のが異常者です。

      頭大丈夫ですか?
      病院行ってください。
      次の事件が起きないうちに。

  2. toh より:

    福祉従事者です。
    記事を拝読させて頂いた結果、「ダメなものはダメなのだ」、「犯罪者に共感しては駄目なのだ」、「社会福祉に従事する人としてはナンセンスだ」というニュアンスが強く示されているように感じました。この点については、おっしゃる通りだと思います。
     しかし、その反面、こういった事件が取り上げられる度に多く見受けられる「キチガイの言うことなんて知ったことか」という主旨の乱雑なコメントの数々は好ましくありません。何故なら、数々の同様の事件について、自分たちは善であり、犯罪者は悪なのだ、と案に一線を引くことは、返って何も考えていないことと同じだと感じるからです。
     犯人に賛同するつもりはありません。ただ、生物として生きている以上、誰かよりも勝ることで評価され、或いは誰かに貢献し、尊敬されることで、日々、我々は自己肯定感を持ち、暮らしています。そういった中で、障害者の支援を行った経験のあるものであるかどうかに関わらず、誰しもが犯人が持っていたこの感情と似て非なる物を持つことは仕方のないことのように感じます。この現実を受け止めた上で、では我々に日々何が出来るのか。自分たちの中にあるそういった感情とどう向き合い、支援を続けていくのか。このことについて改めて考えることが今回の事件では大事だと思います。

  3. hoichi より:

    私は犯人に賛同するつもりはありませんが、あなたの意見にも賛同する気もありません。
    賛同するのは、ネットなど関係なく、犯人に影響されたからではなく、もともと、そういう考えを持っていたからです。
    ネットは「共感してはならない」と声高に叫んでも、意味はないことを証明しています

コメントを残す

このページの先頭へ