雨宮まみの本当の死亡原因は自殺かなぁ…生き辛い世の中だな…

雨宮まみ

2016年11月15日の朝、ライターでエッセイストの雨宮まみさんが亡くなったそうです。

雨宮まみさんと出版で懇意のあった大和書房によると、『事故のため、心肺停止の状態で床に倒れているところを警察に発見された』とのことで、死因は事故によるものだと報じられています。

改めて雨宮まみさんの文章を読むと、そのセンシティブな内容から、世の中の生き辛さについて共感してしまうところもあります。

とはいえ、雨宮まみさんはまだ40歳という若さ。 最近綴られたブログには死を予感させる内容のものや、エッセイに40歳という年齢を節目と示唆するようなものがあること、そして、報道で死因について具体的に触れられていないことから、本当の死亡原因は自殺ではないかとも考えられています。

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雨宮まみの本当の死亡原因は自殺かなぁ…

ライターでエッセイストの雨宮まみさんが、40歳という若さで亡くなったことが報じられていました。

雨宮まみさんといえば、『こじらせ女子』という言葉を流行らせたことで有名ですが、主にAV業界でAVライターとして執筆活動をされていました。 しかし、2016年11月15日の早朝、自宅で事故により急逝。 40歳という人生に幕を閉じることとなりました。

ネットのニュースなんかをみても、特に死因には触れず、その早すぎる死を報じるのみなので、雨宮まみさんの本当の死亡原因は『自殺』ではないかと囁かれています。 私も真っ先に自殺ではないかと思ったのですが、同じように感じた人は少なくないようです。

実際、死因が事故でも自殺でも『死』には変わりがなく、雨宮まみさんが戻ってくることはないので言及すること自体に意味がないことかもしれません。 ただ、非常に文才があり、自分のセンシティブな感情を上手く伝えることのできる人だっただけに、自ら死を選んだという結末でさえも、彼女なりのメッセージだったのではないかと思うところがあるのです。

 

私の知り合いにも「なぜあの人が?」という人が自殺したことがありましたが、それまで割りと普通にSNSに投稿したりしてたので、周りからは案外わからないものです。 しかし、死はどうしようもなく日常に付きまとい、甘く誘惑を繰り返して死ぬための理屈を整えさせようとします。 ただ、自殺の怖いところは、そのような鬱の果てに死があるわけではなく、前向きと後ろ向きの揺らぎの中で起きてしまうところなので、本当に突然、死を選択する人がいても不思議ではありません。

雨宮まみさんのブログを読んでいると、そういうものを感じずにはいられないのです。

⇒エッセイ『40歳がくる』雨宮まみ

上記の文章には、自身のあるべき姿の葛藤が綴られていますが、このような内面の揺らぎを抱く人は雨宮まみさんだけではないでしょう。 しかし、このように読ませる文章で、自分の胸の内側を表現できる人はほとんどいないのではないでしょうか。 だからこそ、彼女なりに『40歳』という年齢で死を迎える思想が、カチッ、カチッと連結していき、はからずも願望が叶ってしまったのかもしれません。

雨宮まみの死因はお酒と薬によるODかも…

雨宮まみ

40歳という若さで亡くなった雨宮まみさんの死因について、もう少し憶測できることを書くと、ひょっとすると死因は酒と薬によるOD(オーバードーズ)かもしれません。 OD(オーバードーズ)は、いわゆる薬の多量摂取のことを指すのですが、お酒を飲むことで薬の作用が加速してしまい、最悪の場合、それが原因で死に至ることもあります。

雨宮まみさんは、普段からお酒を飲む習慣があったそうですが、元々、お酒に強い体質ではなく、本人も『私はお酒がほとんど飲めない』と言っています。 お酒の酔いについても、36歳の時にはじめてその感覚を知ったそうで、ブログなどを読んでも、それ以降、潰れるまで飲むことも多々あったことがみて取れ、そして過去には、結婚を考えていた相手に振られた時に、お酒とそこそこの量の薬を併せ呑み自暴自棄に走ったこともあることが綴られています。

その時の様子は以下の通り。

ただ、そのときに「混ぜた酒をゆっくり飲んでもああはならないけど、強い酒をショットで連続でいくとけっこう楽しい感じで酔える」という知識を得た。

その知識が活躍したのは、つきあって、結婚とかまで考えていた相手から急に「愛情が薄れた。距離を置きたい」と言われたときだった。
「ちょっと、お酒出して」。私は彼秘蔵のおいしい焼酎をストレートで飲み干した。2杯飲み干す頃にはベッドでごろんごろんの状態になりながら、お互い本音をぶちまけることができた。そんな話なのに、なんだか妙に和やかに話していたのを覚えている。別れるなんて耐えられない、死のうか、と考えているのに、人の表面っていうのはおかしなものだ。翌日、自宅で一人になったとき、彼がうちに置いていた上等のラム酒をそこそこの量の薬と一緒に飲み干した。『完全自殺マニュアル』世代の私だから、そんなことでは死なないとわかっている。吐瀉物による窒息か、お風呂で溺れるかするなら別だが、ろくに食べてないしどっちもないだろう。ただ、とにかく数時間でもいいから意識を失って、何も考えずにいたかった。

引用元:『40歳がくる!』雨宮まみ

完全自殺マニュアルは私も読みましたが、当時は有害図書指定を受けて話題となりましたね。 著者の鶴見済氏は東大出身で、完全自殺マニュアルのような問題作を上梓しながら、その後の著書でも虚無的でありながら希望を探し求めるような面白い本を書いていたと記憶にありますが、アラフォー世代で影響を受けた人も少なくないでしょう。

まさに雨宮まみさんは世代という感じがしますが、完全自殺マニュアルの内容を持ってくる辺り、死への甘い誘惑に何らかの魅力を感じていたのかもしれません。

そして、このブログ記事の後には次のような文章も。

たぶん人生で最大の量を飲んで、帰ってからも私は酔っていた。気持ち良くて音楽を聴いて、ふと「今なら飛び降りられるな」と思った。今のこの感じなら、すっと飛び降りることができる。怖くない。さぁ、Major Lazer & DJ Snake feat.Mφを聴きながら飛ぶか。たぶん飛ぶことすら今は気持ちがいいはずだ。風は生温いし、手すりも冷たくなんかない。

そうしてもいいと本気で思った。けど、40前でこんなことが起きるんだったら、人生ってどんだけむちゃくちゃなんだろうか。もっと、もっと、気持ち良くて、死ぬほど楽しくて、死ぬほど傷つくことが、この先には待っているんじゃないだろうか。もう耐えられないというほど傷ついていても、私はなんだかそのことが、とても面白そうに思えてしまった。どうせズタボロなら、もっとめちゃくちゃになってしまえばいい。自分のモラルや理性や大事にしてきたものが全部壊れてしまうくらいの嵐に巻き込まれてしまえばいい。そして、不思議とそのことは怖くはなくて、少しだけ楽しみなことのように思えたのだった。

私は、嵐が見たい。次の嵐が見たい。

引用元:『40歳がくる!』雨宮まみ

お酒と薬のODが事故による死だとしても、そこに自殺願望がなければの話です。 雨宮まみさんの場合は、色々なところから考えても、自暴自棄である自分をどこか遠いところから眺めていたり、結果的に死んでしまっても仕方ないと思っていたところがあったのかもしれませんね。

40歳という年齢を迎え、同世代の独身女性のどこか行き場のない気持ちを代弁するには、雨宮まみさん自身が抱えていた感情に真摯に向かい合う必要があったのでしょう。 そして、彼女は自分の感情や思想に真面目に応えただけなのかもしれません。

そして、それは決して雨宮まみさん特有なものではなく、同世代の女性が漠然と抱えている不安なのかもしれませんが、今となっては本当に惜しい死だと思うばかりです。

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雨宮まみがブログに書いていた生き辛い世の中

最後に、雨宮まみさんってどんな人だったのか振り返ってみましょう。

雨宮まみさんは1976年9月26日生まれの40歳。福岡県出身。 職業は作家、エッセイストで、主にAV業界のライターとして執筆活動。 2011年には『女子をこじらせて』を出版し、「自意識や自らの女性性への自己評価をこじらせた女性」を指す『こじらせ女子』という言葉が新語・流行語対象にノミネートされるなどして話題を呼びました。

フリーライターになる前は、大卒⇒フリーター、バニーガールなどの職を経て、いわゆるエロ本の編集者として勤めていたそうで、その美しい容姿とは裏腹に経歴も一風変わったところがあります。

 

今回の訃報がきっかけで、雨宮まみさんのブログ『40歳がくる!』を読み直してみると、本当に惜しい人を亡くしたという気持ちになります。 AVライターという、一見享楽的なものを追い求めるお気楽な人なのか、達観した人生を歩みたい人なのかわからない職業で、雨宮まみさんは完全に後者。

『雨宮まみさん、美人なのに勿体無い…』

思わずそう言ってしまいたいのですが、そんな台詞は陳腐以外の何ものでもないのかもしれませんね。

11月1日付けのブログ記事には次のような文章があります。

「不幸でなければ面白いものを作れない」というジンクスのようなものが、この世界にはある。確かにそういうタイプの人もいる。幸せになったとたんにつまらなくなってしまう人。不幸であることを原動力にできる人、ネタにできる人。不幸なものほど共感を得られやすいし、つらい、さみしい、切ない、そういうネガティブな感情のほうが、人の心に寄り添っていきやすい。「不幸な頃のほうが面白かった」。それは、この世でいちばん下品な言葉だと私は思っている。その下品な言葉と戦って勝つために、生きたいと思うことさえある。

そう思っていても、その前の日の明け方、私は近所のカラオケボックスに安酒をトム・フォードの紙袋に入れて持ち込んで、トイレで吐いた挙句ぶっ倒れ、トイレで倒れている間もしっかり延長料金を取られ、自宅までたった3分の距離を歩くのがやっとで、気絶するように眠ったあとで気付けば腕に身に覚えのないあざがいくつもできていたりして、そこそこやばい状態になっていたりしたし、これからもたぶん、そんなことは何度でもあるんだろう。

引用元:『40歳がくる!』雨宮まみ

そして、この記事の最後は、次のように締めくくっています。

生き残って私たちはまた会う。必ず。絶対なんてない人生だけど、約束ぐらいはしたっていいんじゃないか。どんなことでも、生き残っていれば、いずれ、たいしたことのないことに変わっていく。何度でも、追いかけて、深追いして、傷ついて、いずれそんなことをしなくても別の情熱が、健全な情熱が生まれるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。書けなくなるのかもしれない。そのどれが幸せで、そのどれが不幸かなんて、他人に決めさせてやるものか。私が決めることだ。

40歳は、80歳まで生きると仮定したら、ちょうど折り返し地点になる。生きていることは、当たり前じゃない。だから私たちは何度でも誰かと約束を交わし、相手と生きて再び会えることを祈る。

引用元:『40歳がくる!』雨宮まみ

死んだら何にもなんないよ…。

もっと気楽に生きればいいなんて言葉は嘘くさく、何の価値もないかもしれないかもしれませんが、それくらい色々なものをこじらせた40歳独身女性がいるということを、今の私たちは知る必要があるのかもしれません。

雨宮まみさんのご冥福をお祈りします。

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