大田原高校山岳部の生徒遺族の言葉が泣ける…|栃木雪崩事故

事故後の那須温泉ファミリースキー場

2017年3月29日放送の『とくダネ!』で、先日栃木県那須町のスキー場で雪崩に巻き込まれた大田原高校の生徒の遺族のインタビューが報じられていました。

栃木県の雪崩事故は、県内7つの高校による合同の春山安全登山講習会の最中に起きてしまったもので、県立大田原高校の生徒7人と教師1人が命を落とす大惨事となりました。

雪崩発生時の状況

事故から2日経ち、亡くなった生徒の遺族や友人がその心境を明らかにしていたのですが、それをテレビで見ていて胸が苦しくなりました。

その内容を紹介していきたいと思います。

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雪崩事故で亡くなった大田原高校山岳部の生徒たち

2017年3月25日から2泊3日、岐阜県那須町のスキー場で行われた春山安全登山講習会(主催:岐阜県高校体育連盟)。

そこでまさか子供が命を落として帰宅するなんて、誰が想像できるでしょう…。

今回、岐阜県那須町にある『那須温泉ファミリースキー場』で起きた雪崩事故で、県立大田原高校・山岳部の生徒7人と教師1人が帰らぬ命となってしまいました。亡くなった生徒と教師の名前は以下の通り。

亡くなった大田原高校の生徒と先生

【生徒】
奧 公輝(まさき)さん(1年)
佐藤宏祐(こうすけ)さん(1年)
高瀬淳生(あつき)さん(1年)

萩原秀知(ひでとも)さん(1年)
浅井 譲(ゆずる)さん(2年)

大金 実(みのる)さん(2年)
鏑木悠輔(かぶらぎ・ゆうすけ)さん(2年)

【教師】
毛塚優甫(けつか・ゆうすけ)さん(29歳)

毎日新聞には、亡くなった何人かの生徒のことが記事になっていました。

『努力家で妹思い』
浅井譲さん(17)=2年=の父慎二さん(47)は、27日夜、病院で譲さんと対面した。きれいな顔だったが、体を触ると冷え切っていた。「寒かったね。やっと帰ってきたね」。そう声をかけるのがやっとだった。

慎二さんは登山や自転車などが趣味で、小さい頃の譲さんをよく外に連れて行った。

「将来は絶滅危惧種を守る仕事がしたい」。こんな希望を持っていた譲さんは、高校で山岳部に入った。努力家で、妹思いだった譲さんは慎二さんの誇りだ。「本当にいい子だったし、短くても幸せな人生だった。ただ、親より先に死んだことだけは親不孝。山に行った人は全員、無事『ただいま』と言って帰ってきてほしい」

今回の訓練の判断について「中止して撤退する道もあったのではないかとは思う。ただ、先生方も状況を見てくださっていたと思う」と言った。【高橋隆輔】

『音楽が大好き』
高瀬淳生(あつき)さん(16)=1年=は音楽が大好きで、自身のツイッターでは「(音楽の)メタルが好物な山岳部員」と自己紹介していた。知人によると、中学時代に授業でギターの演奏を披露したこともあり、優しい性格で人気者だった。

高校で入部した山岳部で標高3193メートルの北岳に登った。講習会に参加する前日の今月24日には「気づいたら一年経ってた」と投稿し、充実した高校生活をうかがわせていた。【加藤佑輔】

『美術部志望変え』
「今までありがとう」。佐藤宏祐(こうすけ)さん(16)=1年=の父政充さん(48)は息子に語りかけるように語った。

最後に見届けたのは研修初日の25日。その2日後、宏祐さんは無言の帰宅をした。「目を覚ましそうで。最後に見送ったときをしっかりと覚えていないのがつらいです」

絵が好きで、高校入学当初は美術部を志望していた。しかし、山岳部の勧誘を受け「運動がしたい」と入部を決意したという。

自宅には、宏祐さんの自画像が飾られている。やや硬い表情に、じっと前を見つめる大きな瞳。「何を思って描いていたんでしょうね」。言葉を詰まらせた。【野田樹】

『野外活動愛した』
奥公輝(まさき)さん(16)=1年=は中学2年までボーイスカウトのメンバーだった。口数は多くないが、テントの設営や料理作りに積極的に取り組んでいた。「どうして大好きだった野外活動で命を落とすことになったのか」。同級生は肩を落とした。中学時代は陸上部にも所属。同級生の女子生徒は「黙々と長距離競技に励んでいた」と語った。【萩原桂菜】

『信頼厚く主将に』
大金実さん(17)=2年=は周囲の信頼が厚く、山岳部で主将を務めていた。小学校では地元の少年野球「黒磯クラブ」に所属。落ち着いた性格から「みのじい」の愛称で慕われた。監督だった水沼利之さん(50)は「頭が良くてスポーツもできて、有望だった」と目を潤ませた。幼なじみの男子生徒(17)も「行動力があり、周囲への気配りも欠かさなかった」と悼んだ。【野田樹】

『幼少期から活発』
鏑木(かぶらぎ)悠輔(ゆうすけ)さん(17)=2年=は幼い頃から明るく活発で、小中学生のころは野球に打ち込んだ。那須町の自宅には28日朝から多くの親戚や友人などが訪れ、「信じられない」と悲しみに暮れた。

幼なじみだった同級生の男子生徒(17)は「信じたくない」。近くの女性(47)は「まだ実感がわかない。まるで自分の息子を亡くしたかのようだ」と声を震わせた。【川崎健】

引用元:毎日新聞

県立大田原高校は栃木県内有数の進学校とのことですが、中でも山岳部は全国において強豪校でもあり、優秀であった生徒たちのこれまでの努力や将来の夢が断たれてしまったことは可哀想であり、本当に残念です。

記事の中には入ってなかった萩原秀知さんは、将来の夢は野口英世のような医者になることだったそうで、山岳部の顧問で教師である毛塚優甫さんはまだ就任1年目で、真面目で生徒からも尊敬されるような人物であり、卒業生の話によると今年結婚する予定だったそうです。

大田原高校生徒遺族の言葉が泣ける…

栃木県那須町のスキー場で生徒と教員合わせて8人が犠牲となった大田原高校の雪崩事故。

雪崩に遭った県立大田原高校の生徒の遺族が、インタビューに答えている姿をテレビで拝見しました。我が子を失ったショックが大きいところにマイクやカメラを向けられたくはなかったと思いますが、粛々と我が子への思いを語る親の姿に涙を誘われずにはいられません。

雪崩で我が子を亡くした遺族

大田原高校・山岳部2年の浅井譲(ゆずる)さんは、中学時代バスケットボールに夢中でしたが、高校に入ってからは父親を追うように山岳部に入部したそうです。

父親の慎二さんは次のように話していました。

私が若い時に山登りしていたので、息子が小さい頃、小学校1年生2年生くらいの時に、よく那須の山に連れて行きましてね。その後は、バスケットボールとかしてたりしていたんですが、高校に入ってから登山岳部に入るよって言って…

亡くなった我が子と対面した時のことについて。

打撲とかそういうのはなかったですね。顔もきれいでした。冷たくなっていましてね。寒かったねって、帰ってきたねって…。

まだ譲が居なくなったのはよく分からないです。もう冷たいですけど、何か起きてきそうな気がします。妻が、何だか『ごめんね、ごめんね』と言って、誰も悪くないんですけど『ごめんね』ってずっと言ってました。

17年で、短かったですけど、幸せだったんじゃないかなって思います。いい子でした。ただ…、親より先に死んじゃいけないと思います。それだけが親不孝だったのかなと思います…

雪崩で我が子を亡くした遺族

また、大田原高校・山岳部1年の佐藤宏祐(こうすけ)さんは、絵を描くことが好きで、高校入学時は美術部に入部しようと考えていたそうです。

父親の政充さんは次のように話していました。

私も日帰りで山登りをやったこともあったので、登山部の話を聞いたら入りたくなったんじゃないかなと…。

(宏祐さんが身につけていた服を抱きながら)これが、最後に身につけていたものなんです。救助された時に、救命のために、これ…切り裂かれてるんですが、これは私が昔山に日帰りで行った時に買って着ていたものなんです…

そう言いながら、宏祐さんが身につけていた登山着をみせてくれました。

救助されていた時に着ていた服

思春期の真っ只中だったと思うんですが、私と出かけるのが好きだったんです。趣味のアニメとか、そういったフィギュア買いに行くのにも一緒に行ってと……。とにかく、いままでありがとうって…

父親の政充さんは、昨日28日、病院で冷たくなった我が子と対面しました。

非常にきれいな顔をしてて、いかにも目を覚ましそうな感じでした。名前を呼びました。宏祐、宏祐って…。全然返事はしてくれないですからね…。

かわいそうで、かわいそうで…。でも、よく頑張ったな。最後、何か思うことあったのかなって…、想像するともう、胸が苦しくて…

とにかく寒かったろうなと……。雪の中で何時間も救出を待って、とにかく残念でならない

浅井譲さん、佐藤宏祐さんのどちらの父親も涙を堪え、言葉静かに失ったわが子のことについて話していたのが印象的でした。

そして、2017年4月1日に行われた高瀬淳生さんの告別式では、亡くなった高瀬さんの代わりに世界を見てほしいという遺族の願いから、遺体の角膜が臓器移植用に提供されることが明らかにされました。

角膜を提供する親御さんの決心

前途あるご子息の命を失ったにも関わらず、取り乱すことなく角膜の提供の決心をする思いには頭が下がります。

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大田原高校・山岳部生徒の証言

2017年3月27日、栃木県那須町のスキー場の山で悪天候の中行われたと見られるラッセル訓練。その先頭グループだったのが県立大田原高校の山岳部でした。

そして、実際に雪崩の被害に遭った大田原高校・山岳部2年生部員が、当時の現場の状況や、現在の心境についてインタビューに答えてくれています。彼は亡くなった浅井譲さんと親友だったとそうです。

大田原高校の隊列内容先頭・大田原高校山岳部の隊列内容

先頭は?
「2年生でした」

譲さんは前から何番目を歩いていた?
「たしか、記憶では2番目ぐらい」

(ご自身は)何番目を?
「6番目でした」

教員が後ろにいた事について
「ラッセルというのは、ルートを探すのも練習ということなので、先生は後ろから見守っていました」

雪崩事故状況先頭は尾根近くまで到達していた

前兆とかは?音とか異変は?
「自分はわからなかったです」

雪崩の時はどんな状況?
「状況というか、もう訳がわからなかったです。いきなり雪にもまれて…」

ご自身で脱出できた?
「埋まってたから意識が…、というか記憶が…。助け出されるまでは、どうなってたかというのはわからないです」

大田原高校山岳部、先頭グループ生徒の証言

今回、行かないという選択肢はあったと思う?
「あったとは思いますけれども、全員が信頼できる顧問の先生なので。山の楽しさを教えてくれたのもその先生方だったので、怒りとかそういうものはありません」

現在、警察は業務上過失致死の疑いで、指導側の安全管理に問題がなかったか調べているということですが、実際にニュースを見守る私たちと、生徒たちの受け止め方には少し差があるのかもしれませんね。

残された遺族や亡くなった生徒たちの友人の証言などを聞く限り、大田原高校・山岳部の生徒と顧問の先生との間に信頼関係があったと信じたいところはあります。

もちろん今後において、同じような事故を防止するためにも検証は行わなければいけないのですが、あまり先生方を責めるような風潮は、大田原高校の生徒たちに対しても悪い影響を与える恐れがあると考えさせられました。

遺族へのインタビューについてのツイート

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改めて、亡くなった大田原高校の生徒と先生のご冥福をお祈りします。

追記(2017/3/30)

昨日、学校側が雪崩事故についての記者会見を開きました。

「春山登山」の講習会の現場責任者で栃木県高校体育連盟登山専門部委員長を務める大田原高の猪瀬修一教諭猪瀬修一教諭(会見にて)

春山登山安全講習会の現場責任者で、栃木県高校体育連盟登山専門部委員長を務める大田原高校の猪瀬修一教諭(50)は、当時の状況説明と自らの経験則からの判断を後悔していると、現在の胸の内を述べていました。

色々と思うことはあったのですが、個人的に共感したツイートを紹介したいと思います。

雪崩事故会見に関する共感の多かったツイート

軽いことは言えませんが、遺族の方々の偲ぶ気持ちを考えると、猪瀬教諭にはこれからも苦節を乗り越え、指導者としてあって欲しいのかもしれないと感じました。

しかし、なんとも辛い事故です…。

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