体罰問題について|体罰肯定派ビートたけしの教育と暴力の境界線

ビートたけし、体罰論

週刊ポストに掲載されていた『ビートたけしのテレビじゃ言えない体罰論』で、最近の体罰問題について体罰肯定派と言われるビートたけしが本質的かつ興味深いことを語っていました。

体罰問題で世間の関心を集めたニュースとして、世界的トランペッター日野皓正(74)が、コンサートでドラムを演奏していた教え子の少年の髪をつかんで往復ビンタした一件が記憶に新しいですが、世間ではこれが『教育』か『暴力』かで意見が分かれました。

【参考記事】
トランペッター日野皓正が中学生に往復ビンタ制裁…何が問題なの?

この体罰問題については、多くの著名人から賛否両論コメントが出ていましたが、今回はビートたけしの考える体罰論について見ていきましょう。

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ビートたけしが最近の体罰問題について語る

ビートたけしが最近の体罰問題についてどのように考えているのか、その内容が週刊ポスト(2017年9月22日号)に掲載されていました。

もちろん、世界的トランペッター日野皓正がコンサート中に教え子の中学生ををビンタした一件が、世間的に体罰是非論として注目を集めたことを、ビートたけし自身がどのように捉えているのかは非常に興味深い話でした。

まずはビートたけしがどのようなことを話しているのか、週刊ポストから引用してみましょう。

オイラはこれまで、ことあるごとに「子供なんて殴りゃいいんだ」って言ってきた。「子供もひとりの人間なんだから、人格を尊重しましょう。叱る時は優しく、諭すように」なんて言うヤツがいるけど、そんなバカな話はない。無責任極まりないぜ。そんな甘いやり方で解決するなら、世の中の親たちは教育で悩んだりしねぇよ。

話せば分かる利口な子供も中にはいるんだろうけど、話したってわからないガキが多いのが現実だ。親なら話してわからない子供を殴ったっていい。それを「殴っちゃいけない」「話せば分かる」なんて言ってるから、子供はいつまで経っても理解しないし、しまいには親や周りの大人をナメはじめる。

子供なんてものは、どこかでガツンとやってやらないとトコトンつけあがる生き物だ。この世には、自分の思い通りにならない恐ろしい存在があるということを、子供のうちから見に染みて覚えさせなきゃいけない。それは親、とくに父親の役割だ。世間てのは親のゲンコツより何倍も残酷なんだからさ。

引用元:週刊ポスト

実際、子供を持つと、想像していた以上に『言って訊かせる』が通用しないと実感する人も多いでしょう。そんな時、自分が子供の時に親からひっぱたかれたりした経験があれば、つい自分の子供にも同じようなことをしてしまうというのはよくある話です。

「話してもわからないから殴っていい」

この言葉だけを取り出せば反射的に「それはよくない」と思いますが、ビートたけしの言うように、世の中の残酷さや理不尽さを知る意味では、親のゲンコツや体罰がその代わりとなる役割を果たすことがあるかもしれません。

ただ、ビートたけしは、日野皓正がコンサートを観に来ていた数百人の観客の前で、教え子の中学生に体罰を加えたことについては、「世界的ジャズマンもヤキが回ったな」と思ったそうです。これについて、観客は入場料を払って『エンターテインメントとしてのジャズ』を観に来ているのに、中学生相手にブチ切れてビンタするのは、まるでセンスがないと斬り捨てます。

スポーツやら音楽じゃ、シビアな訓練の現場で厳しい指導があったり、ちょっと手が出たりっていうのは日常茶飯事だろう。でも客にとっちゃ「そんなの楽屋でやってくれ」って話でさ。料理人の世界でも、親方から弟子には厳しい指導があるはずだよ。でもそれを客が食ってる前でやられちゃ、せっかくのメシがまずくなる。それと同じなんだよな。

引用元:週刊ポスト

客前で身内の不快なやり取りをする店に居合わせることが時々ありますが、それは見えないところでやってくれというのは思わず頷いてしまいます。

ビートたけしはそのことについては、「日野さんは客前でのエンターテインメントに欠けていた」と考えているようで、ジャズの醍醐味である『臨機応変的な即興』がまったくできていなかったと指摘。つまり、問題となった『教育的指導』も、ジャズマンならば『ショー』に変えるなど、もっと上手いやり方はあったと言います。

たしかに日野皓正がステージに上がって悶着があった時に、客席からも笑いが起きていたことを振り返ってみれば、この意見は案外バカにできないかもしれませんね。

体罰肯定派ビートたけしの教育と暴力の境界線

ビートたけし、テレビじゃ言えない体罰論の記事

とは言いつつも、ビートたけしはやはり体罰肯定派の態度を貫きます。

しかし、それは無秩序であってはならないとも言います。

では、体罰肯定派のビートたけしが唱える『教育』と『暴力』の境界線というのは、一体どこにあるのでしょうか?

まァ、オイラの個人的な意見は「体罰はアリ」なんだけど、今の教育現場じゃ御法度だ。親ならともかく、教師が生徒を殴るわけにはいかないってのが現実だろう。それに、よく考えなきゃいけないのは、体罰というのは大人の気持ち次第で「単なる暴力」や「ただの腹いせ」になりかねないってことなんだよな。

何年か前に、名門高校の運動部の生徒が教師から40発以上殴られて自殺したことがニュースになった。そんなのは明らかに許される話じゃない。「暴行罪」と言われたって仕方がない。亡くなった生徒は本当に逃げ場がなかったんだろう。こんなもんは「教育」じゃない。

引用元:週刊ポスト

体罰問題について、体罰否定派が懸念しているのが『体罰が大人の感情に左右されないだろうか?』ということでしょう。

ビートたけしも、そこはきっちりと否定しています

では、体罰が『教育』や『暴力』に変わるラインがどこにあるのか、もう少し詳しくみていきましょう。

教師や指導者のゲンコツが、教育のためなのか、それとも単なる暴力なのか。それを本質的に見極める能力を、子供たちは持ってる。自分がガキの頃を思い出しても、そうだと思うね。

殴られたってまた会いたいと思える先生もいれば、二度と会いたくない先生もいる。それって、その先生の本質を本能的に見抜いているからだと思うんだよ。

 

オイラの話しなんだけど、近くの小学生時代の先生とメシを食うことになっててさ。足立区の梅島第一小学校ってトコで、2年生から6年生まで担任だった藤崎先生っていう人なんだけどね。短大を出てすぐオイラたちの担任になって、当時はハタチそこそこでさ。オイラたちと10歳ちょっとぐらいしか違わないんだけど、ムチャクチャ怖かった。

「たけし、次やったらタダじゃおかねえぞ」なんて言われて、ビクビクしてたもんだよ。いつもボコボコにされてばかりだった(笑)

クラス対抗の水泳大会に負けただけで、みんなで机の上に腹ばいになってクロールの練習したこともあったよ。国語や算数の授業なんてそっちのけでさ。

徒競走かリレーだかでうちのクラスが負けた時も怖かったぜ。「お前らずっと走ってろ」なんて言われて、死ぬほど練習させられた。今じゃあり得ないスパルタだったんだけど、そのおかげでうちのクラスは足立区の大会で優勝しちゃったんだよな。

先生との思い出は色々楽しくてさ。だから70歳になった今でも、「先生に会いたい」って思えるんじゃないか。

 

一方で、別のある先生にやられたことは苦い思い出としてずっと覚えてる。それは殴られたり蹴られたりしたわけじゃなくて、「精神的な嫌がらせ」だった。

授業中、みんなを順番で指して答えさせているのに、わざとオイラだけ飛ばしたり、露骨に無視したりする先生がいたんだよな。そのことは「フザけんじゃねぇ」ってよく覚えてる。「子供を傷つけよう」って気持ちがある行為は何も体罰だけじゃなくてさ。精神的に追い詰めるほうがよっぽど厳しいってこともあるんだよ。

体罰を肯定・否定する前に、まずその辺を見極めなきゃいけない。

引用元:週刊ポスト

長い学生生活の中で、私たちは色々な先生から指導を受けます。

子供は自分が感じていることをうまく言葉にしたり、表現できなかったりするものですが、そうでなくとも、子供はしっかりと先生の本質を見抜いているものです。多少、行き過ぎていたり、厳しい指導であったりしても、自分たちのためを思ってくれているものであれば、子供はちゃんとそれを理解しているということですね。

たとえ体罰が必要な時があっても、今の子供たちが大人になったときに、また会いたいと思ってもらえるかどうかが、ひとつの境界線になるのかもしれません。

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体罰問題に解決策はあるのか?

体罰問題の解決策と突き詰めると、どうしても体罰禁止という結論に至らざるを得ません。

すでに、学校教育法第十一条にも『体罰を加えることができない』と明記されています。

学校教育法第十一条

校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

引用元:学校教育法

とはいえ、現在、教育指導する立場の人の多くは、体罰が自然だった世代だと考えられますし、部活動においての体罰指導などは、多少容認されているところもあるかもしれません。

最近の体罰問題では、就学前の男の子がおもらしをしたことで体罰を与えていた保育士のニュースが特に印象が強かったのですが、個人的にはこのような指導はNGだと考えます。

【参考記事】
茨木市の認定こども園で体罰常態化…園長の体罰必要論がおかしい?

私たちが気をつけなければいけないのは、「自分が過去に体罰指導を受けたから、今の子供にも同じように体罰を与えるべきだ」と短絡的な行動に走ってしまうことではないでしょうか?

根底にこのような勘違いがあれば、ビートたけしの言うように『その大人の気分次第で暴力になる危険性』もはらんできます。

ビートたけし

これはパワハラなんかもそうで、自民党の豊田真由子議員が秘書に暴言を吐いていた不祥事では、秘書へのパワハラが気持ちよくなってしまって止まらなくなっていました。立場が上の者からのマウンティングは、その人の性格や状況に応じて、必要以上に『やりすぎ』てしまうことが問題です。体罰での不祥事は、まさにその『やりすぎ』が問題であり、体罰そのものを完全否定する人は案外少ないのかもしれません。

【参考記事】
豊田真由子のパワハラがヤバい!絶叫で気持ちよくなっちゃってるよね

体罰問題の解決策についてはは、すでに『それを許さない』という意見でまとまっていますが、それはそれで調子に乗る困った人も出てくるのが問題です。

最後に、ビートたけしがこんなことを言っていました。

そういうオイラも、昔はたけし軍団の弟子たちにけっこうプレッシャーをかけていたんじゃないかって? そりゃ否定はしないけど、まァ、アイツラは身内みたいなもんで、そういう「先生と生徒」みたいな関係じゃないんだよな。

オイラが軍団に徹底したのは、「イジられ役をとにかく引き立てろ」ってこと。その点はガダルカナル・タカやらもみんな心得てるから、ダチョウ倶楽部や松村邦洋なんかもみんな軍団にオイシイ状況を作ってもらって世に出たんだよな。

ダチョウの「聞いてないよ!」なんてネタも元々そこから出てきたもんだしね。軍団のヤツラが偉いのは、そのスタンスをずっと守ったことだよ。

だけど、時々そういうサポートに気がつかないバカなタレントがいてさ。そういうときは怒ったね。「おい、ウチの若いのはお前のために全部犠牲になってやってるんだ。調子に乗るんじゃねぇぞ」ってさ。

まァ、エンターテインメントっては、それぐらいシビアに場を感じてなきゃダメなんだよ。

引用元:週刊ポスト

【関連記事】
タメ口ハーフタレントに逆風?ビートたけしのブチギレに称賛多数

体罰を禁止にすることで、このエピソードのように空気を読めない人が出てくるかもしれませんし、結局、社会に出て困ることがあるようであれば本末転倒であるとも受け取れる話です。

今回、体罰肯定派のビートたけしの言葉を借りて、最近の体罰問題についてみていきましたが、体罰肯定派も否定派も、『教育者たるもの「心」が一番大事』ということだけは相違ないのではないでしょうか。

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